ログイン調整の頻度が、また変わった。
二週間に一度だったものが、一週間に一度になった。さらに三か月後には、週に二度になった。
そして今、リョウは毎日、カイトに会っていた。
「これは異常です」
リョウは医療チームのリーダーである如月医師に訴えた。
「契約では月に一度だったはずです。それが毎日なんて」
「氷堂センチネルの能力が不安定化しているのです」
如月医師は冷静に答えた。
「彼のような高位センチネルは、常に能力の暴走リスクを抱えています。あなたの調整なしでは、彼は社会生活を送ることができません」
「でも……」
「御厨さん」
如月医師はリョウを真っ直ぐに見た。
「あなたは、調整を苦痛に感じていますか?」
その質問に、リョウは答えられなかった。
苦痛、ではない。むしろ逆だった。調整の時間は、リョウにとって一日で最も充実した時間になっていた。カイトに触れ、カイトと繋がり、カイトの中に溶けていく。
それは確かに、気持ちよかった。
「調整自体は問題ないのです」
リョウはようやく口を開いた。
「ただ、これが本当に必要なのかと。もしかして、カイトが……故意に能力を不安定化させているのではないかと」
「それは重大な告発ですが」
如月医師の表情が硬くなった。
「何か根拠があるのですか?」
「いえ……ただ、感覚的に」
「感覚は、証拠になりません」
如月医師は断言した。
「氷堂センチネルの能力の不安定性は、客観的なデータで証明されています。彼があなたを必要としているのは、事実です」
その言葉を聞いて、リョウの胸に複雑な感情が渦巻いた。
必要とされている。
それは、悪い気分ではなかった。むしろ、どこか満たされるような感覚があった。
しかし同時に、恐怖もあった。
こ
それから六ヶ月が経った。 リョウとカイトは、バンコクの郊外に小さなアパートを借りて暮らしていた。 二人とも、偽名を使って生活していた。カイトは英語教師として、リョウは翻訳の仕事をしていた。 収入は多くなかった。しかし、二人には十分だった。 朝は一緒に起き、朝食を作り、仕事に出かける。 夜は一緒に夕食を食べ、映画を見たり本を読んだり、ただ抱き合っていたりする。 普通の、平凡な生活。 しかしリョウにとって、それは何よりも幸せな日々だった。「リョウ、買い物に行くぞ」 ある日曜日の朝、カイトが声をかけた。「はい、今行きます」 リョウは部屋を出て、カイトと手を繋いだ。 アパートの外に出ると、熱帯の太陽が照りつけていた。しかし、もう慣れた。 二人は市場に向かった。 色とりどりの果物、新鮮な魚、香辛料の匂い。タイの市場は、いつも活気に満ちていた。「今日は何を作る?」 カイトが尋ねた。「トムヤムクンにしましょう」 リョウは答えた。「あなたの好物ですから」「ありがとう」 カイトは微笑んだ。 二人は材料を買い、アパートに戻った。 そして、一緒に料理をした。 カイトが野菜を切り、リョウがスープを作る。 途中、カイトがリョウの腰を抱いた。「カイト、料理中ですよ」「分かってる」 カイトはリョウの首筋にキスをした。「でも、我慢できない」 リョウは笑った。 こんな日常が、こんなにも愛おしいとは。 かつては想像もできなかった。 夕食の後、二人はベランダに出た。 夕焼けが、空を染めていた。 リョウはカイトの肩に頭を預けた。「カイト」「何だ?」「幸せです」 リョウは呟
屋上での対峙から一週間が経った。 その間に、世界は大きく変わり始めていた。 リョウとカイトの映像は、瞬く間に世界中に拡散された。ソーシャルメディアでは、彼らを支持する声が圧倒的多数になった。「#FreedomToLove(愛する自由を)」というハッシュタグがトレンド入りした。世界中の人々が、リョウとカイトの物語に共感した。 そして、政治も動いた。 野党議員たちが、センチネル保護法の見直しを要求し始めた。与党内部でも、改正を求める声が上がった。 センチネル管理局は、世論の圧力に屈しつつあった。 しかし、リョウとカイトへの指名手配は、まだ解除されていなかった。 二人は、三島の手配した安全な場所――海沿いの古い民家に身を隠していた。「長くはもたないな」 カイトが言った。 二人は海を見ながら、並んで座っていた。波の音が、静かに響いていた。「どういう意味ですか?」「いずれ、センチネル管理局は俺たちを捕まえようとする」 カイトは説明した。「世論がどうであれ、法律が変わるまでは、俺たちは犯罪者だ」「でも、朝霧さんは撤退しました」「あれは、カメラがあったからだ」 カイトは首を横に振った。「次は、メディアのいない場所で襲ってくる」 リョウは不安を感じた。「なら、どうすれば……」「国外に逃げるしかない」 カイトは決断した。「センチネル保護法が施行されていない国に」「でも、それでは一生、日本に戻れません」「それでもいい」 カイトはリョウの手を取った。「君と一緒なら、どこでも生きていける」 リョウは考えた。 国を捨てる。家族を、友人を、すべてを捨てて、カイトと二人だけで生きていく。 それは、恐ろしいことだった。 しかし同時に、魅力的でもあった。
記事は、予想以上の反響を呼んだ。 翌朝、三島の記事はインターネット上で爆発的に拡散された。 『愛は罪か――ボンディングしたセンチネルとガイドの告白』 記事には、リョウとカイトのインタビューが詳細に掲載されていた。二人の写真も公開された。 ソーシャルメディアは、瞬く間にこの話題で溢れた。 賛否両論。 「彼らは何も悪くない。愛し合う権利は誰にでもある」 「いや、法律は法律だ。センチネルは国家の財産なのだから、管理されるべきだ」 「ボンディングの危険性を無視するな。一人が死ねば二人とも死ぬんだぞ」 「それでも、強制的に引き離すのは人権侵害だ」 議論は白熱した。 そして、センチネル管理局も動いた。「氷堂カイトと御厨リョウを、国家反逆罪で指名手配する」 局長の記者会見が、全国に放送された。「彼らは、センチネル保護法に違反しただけでなく、機密情報を漏洩した。これは、重大な犯罪である」 指名手配。 リョウとカイトは、正式に犯罪者とされた。「予想通りだな」 カイトは冷静に言った。 二人は三島の手配した隠れ家――廃墟となったホテルの一室にいた。「でも、世論は私たちに同情的です」 リョウはノートパソコンの画面を見ていた。「ソーシャルメディアでは、私たちを支持する声が多数です」「それでも、法律は変わらない」 カイトが窓の外を見た。「世論がどうであれ、俺たちは指名手配犯だ。捕まれば、処刑される」 リョウは唇を噛んだ。 記事の公表は、諸刃の剣だった。世論は味方についたが、同時に居場所も知られてしまった。 その時、カイトの表情が変わった。「来る」「え?」「執行部隊だ」 カイトは立ち上がった。「朝霧も、一緒だ」 リョウは窓から外を覗いた。
テレポーテーションの感覚は、溺れるようだった。 リョウの意識は引き伸ばされ、圧縮され、そして再構成された。吐き気と眩暈が同時に襲ってきて、リョウは気を失いかけた。 しかしカイトの腕が、しっかりとリョウを抱きしめていた。 その温もりだけが、リョウを現実に繋ぎ止めていた。 どれくらいの時間が経ったのか分からない。 気がつくと、リョウは固い地面の上に倒れていた。「リョウ」 カイトの声が聞こえた。「大丈夫か」「ええ……なんとか」 リョウは身体を起こし、周囲を見回した。 そこは、見知らぬ場所だった。 森。鬱蒼とした木々に囲まれた、人里離れた場所。空気が冷たく、澄んでいた。「ここは、どこですか?」「北海道だ」 カイトが答えた。「山奥の、誰も来ない場所」 北海道。東京から、千キロ以上離れた場所。「そんなに遠くまで……」「限界だった」 カイトは息を切らしていた。額に汗が滲んでいた。「これ以上遠くには、飛べない」 リョウはカイトの身体を支えた。カイトの身体が、熱を持っていた。「能力を使いすぎましたね」「ああ……でも、これで少しは時間が稼げる」 カイトは木に背中を預けた。「朝霧が追跡してきても、ここまで来るには時間がかかる」「でも、いずれは見つかる」「そうだ」 カイトは認めた。「俺の能力は、使えば使うほど追跡が容易になる。逃げれば逃げるほど、痕跡を残してしまう」 リョウは考えた。 このままでは、いずれ捕まる。時間の問題でしかない。「なら……」「なら?」「戦いましょう」 リョウは言い切った。
気がつくと、リョウは見知らぬ場所にいた。 古い日本家屋。畳の部屋。障子から差し込む柔らかな光。「ここは……」「俺の、隠れ家だ」 カイトの声がして、リョウは振り向いた。カイトは窓の外を見ていた。「山の中。最寄りの町まで車で一時間。センチネル管理局も、ここの存在は知らない」 リョウは身体を起こした。全身の力が抜けていたが、カイトが近くにいるおかげで症状は治まっていた。「どうやって、こんな場所を……」「三年前、任務で訪れた時に見つけた」 カイトは振り返った。「いつか必要になるかもしれないと思って、秘密にしてきた」「いつか……って、まさかこんな日が来ると?」「ああ」 カイトは頷いた。「君と出会った時から、こうなることは分かっていた」 リョウは息を呑んだ。「つまり、あなたは最初から……」「逃亡することを、視野に入れていた」 カイトは認めた。「君をボンディングに導き、そして一緒に逃げる。それが、俺の計画だった」 リョウは何も言えなかった。 すべてが、カイトの計算の内だった。出会いも、調整の頻度の増加も、ボンディングへの誘導も。「怒っているか?」 カイトが尋ねた。「俺は君を騙していた。君の自由意志を奪い、俺に依存させた」 リョウは考えた。 怒るべきだろうか。自分は操られていたのだと、憤るべきだろうか。 しかし。「怒れません」 リョウは答えた。「なぜなら、私も同じことを望んでいたから」 カイトの目が、わずかに見開かれた。「最初は違いました」 リョウは続けた。「最初は、確かにあなたに触れることを嫌がっていました。でも、いつか
リョウは走った。 雨に打たれながら、息も絶え絶えに、ただ前へ。背後からは執行部隊の足音とサイレンの音が追いかけてくる。 スマートフォンがポケットの中で震えた。カイトからのメッセージだ。 『座標を送る。そこで待て』 画面に表示された地図を見て、リョウは方向を変えた。湾岸地区。あの日、カイトと初めて出会った場所の近くだ。 足が重かった。禁断症状による脱力感が、全身を支配している。カイトと離れて五日。リョウの身体は既に、限界を超えていた。 それでも走った。 廃ビルの影に身を隠し、追跡者が過ぎるのを待った。雨音に紛れて、彼らの無線のやり取りが聞こえてくる。「対象を見失った」「周辺を封鎖しろ。逃がすな」 リョウは歯を食いしばった。 カイトの指定した座標は、ここから二キロ先。たった二キロ。しかし今のリョウには、途方もなく遠い距離だった。 携帯が再び震えた。今度は着信。カイトだ。「リョウ」「カイト……」 リョウの声は、掠れていた。「動けません。身体が……」「分かってる」 カイトの声が、苦しげに響いた。「俺もだ。任務中、何度も能力が暴走した。君なしでは、もう制御できない」「私も……あなたなしでは」 リョウは壁に背中を預けた。立っているのがやっとだった。「五日間、地獄でした。頭が割れるように痛くて、吐き気が止まらなくて……」「すまない」 カイトの声が、震えた。「俺のせいだ。俺が君をこんな状態にした」「違います」 リョウは否定した。「これは、私たち二人の選択です。誰のせいでもありません」 遠くでサイレンの音が近づいてきた。リョウは息を潜めた。「カイト、あとどれくらいで…&hellip